悪魔の契約
スラドをみてたら、なんか面白い記事が。
有名えちぃゲームのプログラムにGPL盗用疑惑発生
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nerd界隈で祭
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開発元、非を認めてソース公開準備 ←いまここ
このGPLやLGPLを考えついた人は類まれなる先見性を持った人だと僕は思う。
GPLを思いついた人は「自分の書いたプログラムの進化形を自分が作らずにソースコードまで見ることができる、こいつは楽しみだ」程度にしか考えなかったんだろうか?僕はこの発端の人が産業としてのプログラム全てに対する一種のレジスタンステロとして考えたルールじゃないのかと思えてならない。
GPLとかの簡単な解説
と事例
リーマン時代、マルチメディアな作業をしてるとき。次バージョンの要件定義で。
「この動画形式はどうしましょう?」「実装するとなると、ちょっとコストがかさみますね」「ああ、○○っていうプログラムがそれ実現してましたよ。ソースつきで。けどライセンスがGPLだったと思います」「んー…それじゃやめましょう」「そうですね」
みたいな話を幾度となく耳にした。割と先進的なロジックが搭載されているシステムだったので、それも含めて公開するとなると、ちーっとばかりマズかったわけだ。
開発コストを限りなく圧縮できる魔法がGPLライセンスのライブラリだったりするんだけども、その魔法を唱えた瞬間、もう自分の意思ではどうにもならない潮流に巻き込まれてしまう。
この話、どこかで聞いたことあるなー、なんて思ったんだけど、ゲーテのファウスト
だね。
奴隷を手に入れるには命を救えば良い、なんてセリフがどっかのマンガにあったけど、GPLライセンス成果物を利用するってことは、時と場合によってはメフィストヘレスとの契約になるんだのぅ。
あと、GPLがバレないと思ってたプログラマはある意味すごいと思った。GPLをよく知らなかったのなら、もっとすごいと思った。会社側、経営側がそれすら無視して黙って売ってたのなら、もっともっとすごいと思った。世の中、すごいことだらけだ。





